今日もまた、父が煙草を吸いに、台所の換気扇の下へ向かった。
わたしが物心ついた時から、父は煙草を吸っていた。
煙草。いい思い出なんて何もない。家の中、車の中、あらゆる場所で、父の煙草の煙に巻かれた。
「煙草やめてよ。服が臭くなるし、受動喫煙でこっちにも害あるし。吸うならあっちで吸って!」と、煙草に火をつけようとする父に向かい、よく大声を上げた。しまいには、煙草を隠した。
父はよく、「煙草買ってきてくれるか?マイルドセブンエクストラだぞ。1カートンお願い。」と私や弟妹に頼んだ。
買いに行った記憶はある。自販機でも買えたし、ホームセンターの中でも買えた。今なら、到底買えないだろう。
子どもに煙草を買ってこいだの、私たち兄弟姉妹の前で煙草を吸ったり、現代の感覚で言えば、とんでもない。
しかし、その当時は、そこまで「分煙」「受動喫煙」っと言った言葉を聞かなかったし、煙草を吸う人に寛容だった気がする。わたしが覚えていないだけかも知れないが。
兎にも角にも、父は、よく煙草を吸った。車で出掛ける時も、あの狭い車内で煙草を吸った。すれ違う車でも、同じ光景を目にすることが多々あった。
愛煙家にとって、今より何倍も居心地の良い時代だっただろう。そんな光景を今見かけたら、あなただったら、どう思いますか?
「子どもが隣にいるのに、煙草を吸うなんて有り得ない。信じられない」十中八九、偏見の眼差しを向けるのではないかと思う。
ある日、わたしの兄弟が未就学児の頃の写真を見つけた。場所は、岬だろう。父の髪の毛が、風に揺れている。右手には煙草、左手で妹を抱き寄せている。「時代だな」そう思った。
百害あって一利なし。
吸うことが悪いとは言ってない。
吸いたい人は吸えばいい。
吸わない人に害を与えないように。
では。
作成日:2022年01月16日
更新日:2022年10月09日